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昭和44年は戦後既成の価値観が最も激しく揺さぶられた年でした1月18,19日東大安田講堂に8500人の機動部隊が突入丸2日間にわたって激しい戦闘を繰り広げ立てこもっていた全学共闘会議系の学生631人全員を逮捕した”東大ショック”は全国に波及し紛争の波は高校にも及んでしまった。
高度成長への道をひたすら突き進む日本の若者から異議申し立てが出始めていた
都立新宿高校のバリケ−ト闘争で最後まで校舎に立てこもっていた一人が坂本龍一である
都立竹早高校では山下達郎が広島の呉三津田高校では浜田省吾がそんな戦列に加わっていた
そして学生運動の敗北それは図らずもGS消滅(グル−プサウンズ)と軌を一にするGS
は昭和45年に入ると見る影もなくなってしまうファンも見放したGSはパンク寸前、300あると言われたGSの3割は消滅した2年持ったのが不思議なくらいそんな悲観的な情報がこれでもかと披露されていった。
タイガ−スは最初のト−タルアルバムとされる「ヒュ−マンルネッサンス」を出しまるで東大落城のBGMに聞こえた「廃墟の鳩」を歌った加橋かつみが抜けた8月 全国で最後まで学生が占拠していた広島大の時計台が陥落するその余韻の残る広島大のキャンパスでの学園祭で一人の若者がヘルメット姿の学生の激しい野次にもめげずギタ−一本で40分にも及ぶオリジナルの曲を歌った♪これこそと信じれるものがこの世にあるだろうか♪と歌っていたのが吉田拓郎であるその始まりの歌は「イメ−ジの詩」だった昭和44〜45年は若者にとって激動の年でした よく無事に大阪万博が開催できたものだと当時思っておりました。
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